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家には少々ではあるが山林がある。
いわゆる里山である、かつては燃料にする粗朶やら薪はもちろんのこと、畑に使う手木(つるものを巻き付かせるための棒)や、雪囲いにする皮むき丸太や、はざ木に使う丸太等みんなそこから調達したものである。
今から四十年前まではそうだった、一番の利用価値だった燃料が化石燃料に変わったため、山は用が無くなってしまった。
私は小さな頃、父親と一緒に山に行ったことを覚えてはいるが、今ほど里山に愛着を持つ事になろうとは夢にも思わなかった。
今私は、四季を通じて山に入っている、折からの薪ストーブブームで薪の需要が出てきたことや、最近始めた盆栽のネタや苔を取りに行ったり、天然の山繭をひろったり、山菜やキノコや笹団子の笹等を採りに行ったりと、いくらでも用事がある。
特に最近は、さるなしの栽培を始めたのでその手木になる栗の木を取ってくるのが大切な仕事になっている。
もう一つある、それは「なたづか」を探すことである、「なたづか」とは何か、字のごとく、なたの柄になる木のことである、正式な名称はうわみずさくら(上溝桜)である、アンニンゴとも言う、花のつぼみの塩漬けや、実のリキュールはよく作って楽しんだ。
なたづかと呼ぶ地域もかなり多そうだと図鑑に出ていたが、私の所も昔からそう呼んでいたらしい。
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実は、数年前キノコ取りの最中になたを拾った、赤く錆びて柄もがたがただった。ちょっと裕次郎きぶんになったが、そのなたを何時間もかけて研ぎ出し、柄をすげ替えて十分使えるなたにリニューアルする事が出来た。その時に柄に使ったのがなたづかなのだが、その知恵は父親からのものだった。
その父が言うには「ホームセンターで売っているなたは使いにくい、手元のふくらみが小さく、長時間使用すると疲れる。」なるほど昔から有るなたは、いかにも手作りらしく、ごつごつして、柄元はにぎりこぶしのようにふくらみ、長時間使用して握力が衰えても、楽に振り回せる形状をしていた。
リニューアルしたなたは自分でもまあまあの出来だった。なたづかの木は桜の一種らしく、木目は赤みを帯び密な木肌をしているが、一番の特徴は乾燥しても表皮が剥がれないと言うところだろう、実はもっと重要な特徴があるのだが、当時はその程度の考えであった。表皮をうまく残して削り出すことが出来た、一番握力が集中するところは、滑り止めに、また背の部分には表皮の美しさをそのままアクセントにと言った感じに仕上がった。
仕事仲間にやはり山が好きな人がいて、なた談義から、なたづか談義、鍛冶屋談義と話に花が咲き、ひょんなことからそのなたづかが世に出ることになった。その人の仲間に鍛冶屋の人がいてなたづかを見初めてくれたのである。
その鍛冶屋さんから色々な話を聞くことが出来た。
なたづかのことは全然知らなかったみたいだが、桜の木は衝撃を吸収するしなやかさを持っていること、体に優しい木であること、量産の樫の木は折れると一気に破損し、道具の頭部が吹っ飛ぶ可能性が有り、危険だと言うこと。又、玄翁や石工の石頭(ハンマーのこと)の柄は「うしごろし」と言う木が使われていること。等教えて頂いた。
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「うしごろし」が気になって調べてみた。正式名称はなんと「かまつか」であった。
「なたづか」に「かまつか」、奇遇というか、いや必然なのだろう、両方とも薔薇科で「なたづか」は桜属、「かまつか」はかまつか属であった。ぶっそうな「うしごろし」の名前の由来は、牛の鼻環を通す穴を開けるのに使ったとか、諸説あったが定かではなかった。
ようやく先人達の知恵の尾のあたりが見えた気がした。
「なたづか」は雪のせいで根元のふくらみから上が曲がって育つ、そのふくらみと曲がりが、なたの機能にちょうど良く、さらに衝撃を吸収し、腕への負担が少なく、表皮が滑り止めの役割を果たし、なおかつパーソナルな美的感覚も満足させていたのだ。
そんなことから、「ほしい」と言う人が現れ、山を徘徊し「なたづか」を探すことになったのである。
頻繁に山に入るようになって、又様々なことが解った。
里山はかつては二十年かけて皆伐(全伐)を繰り返していた。木を切ってみるとよく解る。生えている木の大きさと、根っこの大きさがまるで違うのだ。山の木の広葉樹の大半は根元から切ると必ずと言っていいほど、ひこばえとして芽が出てくる。(それが野ウサギの餌になったりするのだが)だからあらためて植える必要はない。つまり、山林を二十等分し、順繰りに伐採し、二十年経つと適当な大きさに育っている。と言う具合だ。
先人達の知恵はとっくに循環型の生活を構築していたのだ。
現在、木の年輪は二〜四十年にしかすぎないが、地中の根に至っては想像できない大きさになっている。それを見て、過去数百年にわたって営々と人間の生活を支えてきた歴史を実感したとき、木々の根っこにすら神々しさを感じた。
誰が落としたかわからない、一本の錆びたなたからずいぶんといろんな物を拾うことが出来た思いがした。
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